アメリカでオタクを続けるということ

お久しぶりです。課題とプレゼンとテストが重なって死にかけてましたw
アメリカの大学院はスロースタートで徐々にキツさが加速していくので
今後も気を抜けません。


ところでアメリカでオタクを続けるというのは、大変なようでいて意外と楽
でもあり、逆に楽そうな気がするけど意外と大変だったり、自分でもなんだか
よくわからないような状況です。
最近ではインターネットがだいぶ普及したおかげで、オタの日常業務ともいえる
ネット巡回なんかは日本にいるのとまったく変わらないですし、
アニメを一日遅れで見るなんてのも、地方にいるのと変わらないと思います。
逆に大変なのはモノが入ってこないことです。例えばネットで話題になっている
モノを実際に手に入れて一緒に盛り上がったりはできないし、お気に入り
のマンガの続き、ニューアルバム、DVDなんかを手に入れるのも大変です。
一応どれも海底ケーブル経由で手には入るんですが、オタ的にはモノ自体
というのがやっぱり重要なわけで、やっぱりそれでは不満なのです。
#まあおかげで無駄遣いはだいぶ減りましたがw


モノについてはまあ予想できる範囲だと思うのですが、意外と大きいのは
オタ友達の存在です。オタクというのはやはり何か気持ちを共有するというのが
自分がオタクであるということを認識する上で重要だと思うのですが、
外人オタはやっぱ何か違うんですよ。どうも共感できない。
例えて言うなら自分は未開の地に入った宣教師、フィールドワークに出向いた
文化人類学者のようなもので、ツルみはするんですが、どうも一体化は
できないのです。比較的純粋に作品を楽しむ外人と、もともと文脈が違う上
作品を斜に見て笑う俺、こりゃ共感できないわなあw


てなわけで、日記ではオタ外人がどうしたこうしたとか書きつつも
実は普段の付き合いは非オタばっかだったりもしますw
実際女の子相手にはほぼ隠れオタ状態だし、アニ研を除いて俺のオタっぷりを
知っているのは仲いい友達数人だけだったりします。部屋も普通、
服もオタ記号を極力含まないように多少は気を使っているので、
これで話題なんかも普通のことを話していたりすると危うく脱オタして
しまいそうになるわけです。関係ないですが、一時期いろんな人に
JapaneseYakuzaとか言われたときはちょっと凹んだ。Yakuzaかよ。
そんなに印象悪いのか俺は。


自分も最初は、アメリカに来たこの機会にいっちょ脱オタでもするか!などと
考えていたのですが、いざ足を洗うとなるとこれはこれで大変。
長年共に歩んできたオタ魂はなかなか抜けないですし、ちょっと抜けかけると
心にぽっかりと穴が空いたりして、これはこれで辛いものなのですw
で、大変な留学生活の現実逃避にオタサイト巡回なんかしてるうちに
結局逆戻りと。


そんなこんながありまして、結局自分は中途半端が嫌いというのもあり、
「どうせずるずるオタ引きずるならいっそのこと伝導師になってやる!」
と半ばヤケでこんな活動を始めた次第です。いざ始めてみると両国のオタを
比較することによって自国のオタ文化を再確認できたりして、
これまたなかなか楽しかったり。ただ、それに伴って失いつつある
ものも確かに存在します。それは熱いオタの魂!
いつの間にか踊るアホウから見るアホウになってやがります。これは困った。


オタクは魂だと思うんですよ。オタクが魂を失って批評なんかを始めたら
それは単なる評論家に成り下がってしまう。で、実際非オタの友達に、
「オタクなんだけどオタクの研究をしているオタクとはちょっと違う人」
などといういいんだか悪いんだかよくわからないような半端な評価を
されてしまうわけです。


結局何が言いたいのかというと、「最近オタ話してねえなあ。ああ存分
ダメな話して無駄遣いしてハァハァしてえ」と。次帰省した際には、
その3つが同時にかなう喫茶店などをハシゴしてやろうかと考えています。
まる。あとマジカルナイトとか行ってやる!!